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2011年3月22日 (火)

震災その時、東京で・・・④

宮城県に住む92歳の祖母と、岩手県の叔父とは全く連絡が取れない日が続いていました。叔父の携帯電話にかけてみても全然通じない。祖母はもちろん携帯電話なんて持ってないし、耳も遠い・・・日が経つにつれて私もどんどん焦っていきます。

地震発生から5日目、実家の母から岩手の叔父(母にとっては弟)と電話が通じた!と連絡がありました。叔父は無事でした。避難所暮らしで非常に寒く、食べ物も全然届かないそうです。母との電話の最中も「あっ!また強い余震が来たから、もう切るわ」と突然切れたそうです。できれば叔父をこちらに呼び寄せたいけど、何の手だてもありません。すごくせつない・・・

地震発生から7日目、やっとやっと祖母の無事が確認されました!怪我などもなく、水道だけはまだ通ってないものの電気とガスは使えるので、避難所にも行かず自宅で頑張っているとのこと・・・本当に良かった!92歳のおばあちゃんが頑張ってるんだもん。東京にいる私たちが頑張れないわけがない!!

身内の無事が全員確認されてやっとホッとした時に、思った事がありました。私が義援金に寄付したのは、叔父と祖母の無事が確認されてからです。実はそれまで心の余裕が全くなかったのです。テレビで悲惨な映像を見ていても心ここにあらずで、常に頭の中に祖母たちのことがありました。ニュースで人々が救出されている場面を見ても、「私のおばあちゃんは?」って思っていました。都内で繰り広げられている買い占めに「自分たちのことしか考えてない」「被災地のことをもっと思いやろう」と非難の声が挙がっています。それと同じくこの私もエゴの固まりだなって感じました。自分の家族が無事だったらそれでいい・・・結局はそう思っていたのですから。そして今更ながら、危険を顧みず国民の命を救うために働いている自衛隊、消防隊、原発の現場で作業している人たちに深い感謝の気持ちが芽生えるとともに、その人たちにも大切な家族がいることに気づいたのです。気がつくのが遅くてごめんなさい。

心に余裕がなくなり緊迫した状況に陥ると、多くの人は自分と愛する家族を守ろうと必死になります。買い占めに走る人たちも、被災地の人たちに申し訳ないとわかっているけど、私たちも生きていかなきゃいけないんだもん。という気持ちなのでしょう。冷静に考えれば、東京で品切れ中のお米やパンを口にできないとしても、肉や魚、野菜は豊富にお店に並んでいます。ライフラインもきちんと通っています。手をかけて調理する必要はあるけれど、飢えてしまうということはありません。でも、血眼になってスーパーで買いあさっている人々を目の当たりにすると、自分だけ冷静な心を保つということはなかなか難しいことだなと実感しました。

実家の母が、近所の人と「どこにもお米売ってないわよね〜。うちももう残り少ないけど仕方ないわね」という会話をした後、ピンポンとチャイムが鳴って出てみるとその人がお米を持って立っていたそうです。「うちはまだあるから大丈夫。気にしないであなた、しっかり食べなさい!」そう言って、母の手に押し付けて帰って行ったそうです。みんなが必死なこの時期に自分の家のお米を分けてくれたなんて・・・母ともども、私もただただ感動して感謝するばかりです。ありがとうございます!!

自分と自分の家族を大切にする。その次は友人や近所の人。そして次は地域の人たちや見ず知らずの人たちへ・・・徐々に範囲を広げて温かい気持ちを向ける事ができたなら素晴らしいですよね。窮地に陥った時こそ人を思いやれるような、強い人間に私もなりたい。まだまだ小っちゃい小っちゃいぞっっ、私。

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